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生地の開発
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もう一つの、べつの素肌
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肌が柔らかさを感じない柔らかさ
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- 肌と生地の関係です。思う以上に肌は凸凹しています。
再生繊維であるレ―ヨンは綿と同じ原料のセルロースを細いチューブから引くので繊維が滑らかな形状となるために、微妙な隙間ができて肌と密着しません。
手で持つと重量感があるのに、着ると重さを感じないというモニター様からの声は、このようなこととレ―ヨンの持つ静電気帯電性が関係していると思います。チクチクしません。
設計は、夏季の場合は、肌が汗や水分を放出・蒸散したものをレ―ヨンが吸収し、そのまま大気中に発散、または綿経由で発散するので肌側のサラサラ感を保つ。
冬季の場合は、室内の湿度が低下しても、法定水分率の高いレーヨンは大気中から水分を補給してくれる。また、熱伝導率が高いので体温を温存してくれる。
このような機能的な生地なので「もう一つの、べつの素肌」と表しました。 -
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洗濯耐性が重要です
- 肌に優しい生地でも扱い方が難しいのではいけません。特に洗濯耐性は重要です。
この生地に59%使用しましたレ―ヨンは「水に弱い」のが最大の欠点です。
欠点を克服するために高収縮ポリエステル糸の周りを綿で包んだ糸を使用しました。
水を含んで膨潤する繊維をもとに戻します。
Tシャツだから、ジャブジャブ洗えなければいけません。洗濯機で洗えます。
生地の組成:バンブーレ―ヨン59%、綿36%、高機能ポリエステル5% -
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お肌もお花もお水で潤います
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皮膚からは汗以外に「不感蒸泄」という水分が蒸散されています。
- 肌の保湿に役立っていますが、冬の脱水症状の原因となっています。
糸に含まれる水分を測った数値で法定水分率があります。
法定水分率の高い繊維はウールが15ですがチクチクします。
麻は12ありますがゴワゴワ感があります。どちらも肌に直接ふれるのは疑問です。
絹とレ―ヨンが11です。両方とも水に弱いという欠点があります。
また、絹は高価であり混紡には適さないしニット編みは難しさが課題となります。
綿は8です。
綿の代わりにレ―ヨンを使うと約30%多くの水分を貯めます。飽和値以上の水分は処理できませんが、通常使用の場合であれば問題はありません。
空気の乾燥する冬季には、肌に一番近い所で綿よりも多く保水してくれます。
睡眠前にコップ一杯の水を飲むことは、不感蒸泄で失われる分の補給なのです。 -
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試着をお願いした人からの声
- 「汗の感じ
綿だと汗を生地が吸ってその生地が乾くのを待つみたいな感じですが
黒いおたけちゃんは汗を吸うというより
生地が空気を通して、汗をそのまま消す?ような感じがあります。
おたけちゃんの能力を実感したことになるのですよね!!すごい。
生地を触ってもあまり湿ったようにならず、
服が冷たい、重たい、不快、になった気がしません」 -
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- 「やっぱり軽いなーと感じます!
背中に異物が触れる&乗る感じやモタつく感じが無いので着ているのを忘れます。
肌が傷つかない感覚が不思議です。
おたけちゃんを着ると、日々しんどい衣類で
生きてるのね!と感慨深い気持ちです。」 -
自分のこのみ
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- T,シャツで、私が嫌なところはリブ編の所です。
同じ糸で同じ仕上げ条件ならば良いのですが加工量の問題で出来ません。
そこで、昔着ていたTシャツと同じように共布でエリ回りを作りました。
こうすればエリが汚くヨレることはありません。
私の好みのTシャツになりました。
5年以上着られるためには重要なことでした。 -
ブランド
- LeBerceauBlancは当社のブランドネームです。意味はフランス語で白いゆりかご。
当社の白い生地で、ゆらゆらゆられてすごせればとの思いで付けました。
当社の商品にはエリ裏にブランドネームを縫い付けていません。せっかく肌触りの良い生地にしたのにブランドネームが邪魔をするというお客様がいらっしゃいました。
15年も昔の話です。
洗濯表示マークは義務付けられていますので付けてありますが、邪魔と思う方は切り取りください。 -
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持続可能な繊維会社のために、できること。
- 繊維業界はSDGs的にはCO2の排出業種にあたります。
当社は染色が生業です。染める時は大量の水を使います。また、それをボイラで沸かして使います。2011年にガス化にしました。
現在、当社では水を削減するために低染色ができる機械が設備されています
今回の白Tでは1枚に約12リットル、黒では約3.6リットル使用しています。加工時間は白で1時間、黒は約4.5時間、生地をモーターで動かしています。
縫製加工までしていますが、裁断残布はWバンブーマスクにして販売しています。 -
温暖化が進めば、今以上に肌に近い生地には機能が求められるでしょう!
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足利繊維産地は健在です
- 当社は栃木県足利市西宮町にあり、東側に織姫神社が祭られています。
織姫神社の歴史は、宝永2年(1705年)足利藩主であった戸田忠利が、伊勢神宮の直轄であり天照大神(あまてらすおおみかみ)の絹の衣を織っていたという神服織機神社(かんはとりはたどのじんじゃ)の織師、天御鉾命(あめのみほこのみこと)と織女、天八千々姫命(あめのやちちひめのみこと)の二柱を現在の足利市通5丁目にある八雲神社へ合祀。
その後、明治12年(1879年)機神山(はたがみやま)(現在の織姫山)の中腹に織姫神社を遷宮しました。
そんな足利市内の繊維関係者の力を借りて今回のモノつくりを行いました。
産地の活性化のために繊維の匠の力が集結されています。 -