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父の日に曜変天目の酒器を贈りませんか? 2022年6月1日
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- 6月19日(日)は父の日です。母の日と違い、父の日の贈り物には定番があまりなく、何を贈ったらいいのか迷うという人は多いのではないでしょうか。インターネット調査などによると、父の日の贈り物で最も多いのはお酒だそう。晩酌を楽しむ世のお父さんがいかに多いのかを物語っていますね。そこで、今年は趣向を変え、晩酌のための酒器を贈ってみませんか?
見込みをのぞくと不思議な光彩を放つのが「請関天目」の酒器の特徴です。手にした者だけがその幻想的な小宇宙への旅に誘われます。日本酒を注げば、レンズ効果によってさらに奥深い銀河を鑑賞することができるでしょう。そんな日々の晩酌をいっそう豊かに演出する酒器をお父さんに贈れば、きっと喜ばれるはず。
この度、父の日キャンペーンとして、6月15日(水)までにご注文の方には6月19日(日)までにご到着するようお届けいたします。すべて1点物ですので、どうぞお早めにご注文ください。 -
大好評につき杯を追加発売! 2022年5月30日
- 陶芸家の請関敏之さんに温かいご支援をいただきまして誠にありがとうございます。おかげさまで「請関天目碧玉杯」シリーズがいったん売り切れとなりました。そこで12点を追加発売いたします。いずれも1点物ですので、どうぞお見逃しなく、お気に入りの作品を手に入れてください。
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魅惑の「請関天目」とは?
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- 請関敏之さんはこれまで陶芸の表舞台とは無縁の孤高の陶芸家でした。40歳の時に曜変天目茶碗に魅了され、試行錯誤を繰り返した末、45歳の時に技術を習得。さらに年月を重ねるうちに、色や輝き、表情などで独自の美の境地を開きました。それが「請関天目」です。70歳を超えた今もなお、請関さんはさらなる高みを目指す姿勢を崩すことがありません。まずは、異彩・超絶の美を放つ請関天目の素晴らしさをご覧ください。器の内部に広がる釉薬の斑点や流れは小宇宙のようで、見る者を飽きさせることなく、幻想的な世界に誘います。
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確かなろくろ成形技術でこそ生きる表情
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- 「請関天目」の美しさを際立たせているのは釉薬の妙のみならず、端正な形です。それも請関さんに確かなろくろ成形技術があってこそ。今回、意と匠研究所は請関さんの工房「比良陶苑(ひらとうえん)」にお邪魔し、ろくろ成形の様子を録画することに成功しました。その熟練の技をとくとご覧ください。
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40歳で曜変天目茶碗に目覚める
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- 請関敏之さん
- 請関さんが埼玉県ときがわ町に自身の窯「比良陶苑」を開いたのは35歳の時。当初はオブジェや家庭用食器を創作する日々が続きましたが、次第に曜変天目茶碗にのめり込んでいきました。一般的に曜変天目茶碗は再現が難しいと言われていますが、「簡単には到達できないからこそ、興味を惹かれる」と請関さんは言います。陶磁器研究者の小山富士夫さんと化学者の山崎一雄さんが分析し論じた書籍『曜変天目の研究』を読んでみても、陶土や釉薬などは特別な材料では一切ありません。しかし焼いてみると、最初はただの黒い茶碗にしか出来上がりませんでした。問題は焼成の仕方にあったのです。
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新聞記事をヒントに焼成方法を編み出す
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- ある時、請関さんはICチップの表面の製造技術が紹介されている新聞記事を見つけ、これをヒントにして、頭の中で焼成方法を組み立てました。窯の中で強い還元焼成をした後、器の表面に薄い酸化皮膜を作ることで、あの光彩が生まれることを発見したのです。こうして曜変天目の製作方法を確立し、独自の作風として「請関天目」を完成させていきました。
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薪窯を導入して焼成方法を進化
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- 薪窯の前で
- さらに2020年、これまで使用していた電気窯を薪窯に刷新しました。薪窯は温度をゆっくりと上げて保つのに向いています。そのおかげで理想的な温度コントロールと還元焼成を実現できるようになりました。一般的に曜変天目の中でも粒状の表情が見られるものを「油滴天目(ゆてきてんもく)」、線状の表情が見られるものを「禾目天目(のぎめてんもく)」と呼びます。これらに加え、窯の刷新により斑模様も表現できるようになりました。
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鉄分の多い陶土と天目釉が要
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- 施釉の様子
- 請関さんは瀬戸や信楽、益子、そして地元で採れる土をブレンドし、鉄分の多い陶土に仕上げ、生地を成形します。この生地に鉄やシリカ、酸化アルミニウムなどを主成分とする天目釉を柄杓で流し掛けたり、生地ごと樽に漬けたりして施釉します。躍動的な釉薬の掛かり具合や溜まり具合も、請関天目の個性と言えるでしょう。
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手のひらの中で眺めて楽しめる酒器
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- 請関天目碧玉杯〈空・其の九〉
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- 請関天目碧玉杯〈海・其の十五〉
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- 請関天目紫黒中平杯〈其の一〉
- 今回ご紹介するのはまず、ご自宅で実際に使って楽しめる酒器です。小ぶりな「杯」と、口が大きく広がった「中平杯」の2形状をご用意しました。釉薬の色みは3種類。第1弾で好評だった「碧玉」シリーズ〈空〉と〈海〉、そして第2弾で話題となった「紫黒」シリーズです。碧玉〈空〉は初夏の空を仰ぎ見るような爽やかな青、碧玉〈海〉は海の底をのぞくような深い青を特徴とします。紫黒は赤紫や青、黒などが複雑に混じり合った不思議な色合いです。いずれも手のひらで宝石を転がすよう。1点物ですので、どうぞ機会をお見逃しなく、お気に入りの請関天目を手に入れてください。
※第1弾にて請関天目碧玉杯〈空・其の七〉ならびに〈海・其の八〉まで販売済みのため、今回は〈空・其の八〉ならびに〈海・其の九〉から掲載しております。 -
季節の野花を愛でるのに最適な一輪挿し
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- 請関天目茄子形一輪挿し〈其の一〉
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- 請関天目雫形一輪挿し〈其の二〉
- さらにご紹介するのは、初登場となる一輪挿しです。茶碗や杯とはまた違った請関天目の魅力を知ることができます。コロナ禍を経て、以前よりも自宅で過ごす時間が長くなった人は多いでしょう。またリモートワークが定着し、自宅で仕事をする機会が増えた人も多いはず。その影響から、家の中のちょっとしたスペースやデスクに一輪挿しを設える人が増えています。買い物や散歩の途中などで見つけた季節の野花を摘んできて、一輪挿しにそっと挿してみるだけで心がほんのり癒されます。こちらも1点物ですので、どうぞ機会をお見逃しなく、お気に入りの請関天目を手に入れてください。
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波乱万丈な陶芸家人生の始まり
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- 請関さんの陶芸家人生は実にユニークで、ドラマチックです。請関さんは終戦直後に宮崎で生まれ、福岡で少年時代を送り、京都で学生時代を過ごしました。しかし学生運動が盛んな頃で、まともに勉強ができません。23歳の時に老舗の喫茶店「鍵善」で河井寬次郎の作品に出合います。その展示作品にいたく感動した請関さんは、福岡に戻り、上野焼(あがのやき)の窯元で職人をしていた弟を頼って身を寄せ、半年間修行に励みました。そして上野焼の産地よりも少し南に下った小石原焼(こいしわらやき)の産地に、25歳で窯を開きました。
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ポルトガル人の友からの誘いを受けて
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- 1977年頃、友人や娘らとブラジルの農場にて
- 2〜3年経ち、時代が高度経済成長期に突入すると、民芸品が注目される風潮もあり、請関さんの作品は順調に売れていきました。また、その頃から九州大学の学生だったポルトガル人が請関さんの窯に頻繁に遊びに来るようになり、いつしか友人になりました。彼のビザがまもなく切れる頃、「国に帰ると徴兵されるため、ブラジルに移住したい」と彼から打ち明けられ、「トシユキも一緒にブラジルに行かないか」と誘われました。ブラジルは、請関さんが子どもの頃から憧れていた国。これを良い機会と捉え、妻子を連れて30歳でブラジルに移住することを決めました。1975年のことです。ここから請関さんの運命が大きく変わります。
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ブラジルに移住して窯を開く
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- 1975年、東洋式の登り窯をブラジルで初めて築く
- 請関さん一家が遥々たどり着いたのは、ブラジル南東部のサンパウロ州クーニャ市。そこは陶土に最適な木節粘土が採れる街でした。請関さんはブラジルの街中で見かけた白いレンガに着目。これは焼物の陶土にも使用できると確信し、その出土場所を突き止めたところ、クーニャ市だったというわけです。運良くクーニャ市で偶然出会った女性に親切にしてもらい、空いている倉庫を借りることができました。そこに腰を落ち着けた請関さんは窯を開き、東洋式の登り窯をブラジルで初めて築きました。
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ブラジルの小さな街を焼物産地に
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- 1976年、ブラジルで開設した窯元にて、窯出し作品を点検する
- 窯元を開設した請関さんは日本の民芸調の食器や花瓶、オブジェなどを作り、現地の人に向けて販売しました。ブラジル人は屋外にオブジェを飾る習慣があり、特に好まれたと言います。近所の子どもたちも手伝いにやって来て、窯元の仕事を徐々に覚えていきました。あっという間に3年半の月日が流れ、請関さんは帰国。一方、妻はブラジルに残り、後進の育成に邁進しました。それまで目立った産業がなかったクーニャ市でしたが、今では20軒近くもの窯元が点在する産地となり、観光地としての人気も高まりました。それもすべて請関さんの功績だったのです。
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30年以上経ってからもブラジルで陶芸指導を
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- 2011年、ブラジルでの講習会
- 年月が経ち、請関さんがブラジルを再び訪れる機会がありました。2011年のことです。国際交流基金から「ブラジルで日本式の陶芸を指導してほしい」と依頼があり、3カ月間におよぶプログラムの講師として招へいされたのです。各都市での講習会をはじめ、曜変天目茶碗を分析した資料を発表する大学でのシンポジウム、陶芸教室での作陶指導など、さまざまなプログラムに携わりました。プログラム終了後も請関さんは現地の友人や知人たちと交流を深め、さらに3カ月間延長してブラジルに滞在しました。滞在中も陶芸学校の設備を借りて、陶器を焼き続けたそうです。
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意と匠研究所がサポート
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- 意と匠研究所は、これまでも、これからも挑戦を続ける請関さんを応援していきます。ここでご紹介する作品の売り上げの25%をいただき、請関さんの活動や作品について取材や原稿執筆、写真撮影、編集などを丁寧に行い、また今後の新規開発に対してもアドバイスを適宜行っていきます。
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